河端孝幸の読む漢方

「気」というもの

目に見えないもの

東洋医学と西洋医学の大きな違いは、目に見えないものを認める東洋医学と、見えないものは認めない西洋医学ということになるでしょう。
目に見えない物をものすごく大切にするか、エビデンスという言葉で表される、実証できるものしか認めないという、もちろんそのどちらにも一理あり、どちらかが正しい、どちらかが間違い、ということではありません。
漢方医学では「気血津液論」という理論で人間の体を把握する理論があり、人間の体の中に流れているのは、気・血・津液であり、それを滞りなく動かすのが気ということになります。
物事のすべては「気」が動かす。「気」がない限り物事は停滞するということでもあります。

「気」というものはどのように形成されてくるのか

ちょっと漢方から離れて、人間関係や仕事や日常生活を、気ということを主体として考えてみたいと思います。
気が利く、気持ちがいい、気分がいい、気が入っている、気合と言うように、日本語の中にもたくさんの「気」が使われる言葉があります。気=オーラとも考えられますね。確かに、元気溌剌の人を見ると、何か輝いて見えたり、世の中でいわゆる偉い人や、アスリートで優秀な人たちからは、神々しさとか、威厳とか、そのような「気」を感じますね。
気というものにも「表裏」と「陰陽」があります。前向きな姿勢であったり、いつも笑顔を絶やさない事であったり、積極的であったり、それは漢方流に言うと「表」であり、「陽」でもあります。表気という言葉はありませんが、陽気という言葉はあります。
目に見える行動や態度。それが「表気」であり、「陽気」でもあります。

陰徳を積むこと

表や陽に対して、「裏」「陰」という事ももちろんあり、「裏気」「陰気」となるでしょうか。表気同様に裏気という言葉はありませんが、陰気という言葉はあります。一般的な、ジメジメした、暗いというイメージの陰気ではなく、それは徳という言葉で置き換えられるのではないかと思っています。
陰徳を積むという言葉があります。目に見えないところで、良い行いをする。素知らぬ顔で、人のため、世の中のためになることを積み上げていくこと。たとえば、道に落ちているごみを拾う事。そんなことも陰徳を積むことになりますね。
琥珀の夢という伊集院静著作でサントリーの創業者の鳥井氏の一生を書いた本の中で、鳥井氏のお母さまが、橋のたもとで物乞いをしている人の皿に、金銭を入れ素知らぬ顔でそこを通り過ぎたというくだりがあり、それが陰徳なんだと鳥井氏に言って聞かせたという場面があったように記憶しております。

最高の人生とは

徳を積むことの大前提は利他の心。「亡己利他(ぼうこりた)」の精神。自分自身を忘れ、人のため世のために尽くすこと。
稲盛和夫氏が言う、「動機善なりや、私心なかりしか」ということが大切だと思うのです。
この徳を積むためには、面倒なことを面倒くさがらずにやること。丁寧に、こんがらがった糸を、一つ一つほどいていくが如く。
また人が嫌がる汚れた仕事を進んでやること。それには勇気がいり、胆力が必要な時もあります。その勇気や胆力は、物事の原点、絶対的な真理、原理原則に基づかない限り本物ではありません。その本物を突き詰めることこそ、人間道であり徳を積むこととなるのだと思います。
人間として、高尚な生き方というのは、この徳を積むことに尽きるのではないかと思います。「気」というと、どうしても「陽気」ばかりに目が行きがちですが、この陰気=陰徳こそ「気」の土台になるものだと言えます。
人として生まれ、少しでも美しく、この人に会えてよかったと多くの人から言われてこの世を去る人生を送ることこそが最高の人生だと思うのです。