河端孝幸の読む漢方

還暦を過ぎて思うこと

年を重ねて61年となりました

小学生や中学生の頃は言うに及ばず、20代でも、この年まで生きているという事は想像すらもできませんでした。当時は、今よりも15~20年くらいは平均寿命が短く、60歳を超えると、腰が曲がり、よたよた歩くというイメージがあったものです。しかし、私自身も、普通に歩き、猫背気味となってはいるものの、走ることもできる。この差こそが人類の進化なのかな。と考える次第です。
還暦とは、60年で生まれた年の干支に戻り、人生が一回りしたと考えられることからついた名称。「六〇にして耳順う」とは孔子の言葉。いろいろな意見を何の障害もなく理解し、他人の言葉を自然に受け入れることができるようになり、すべてを理解できる。というような意味ではありますが、とてもとても。
私個人的な状況で話をさせていただければ、59歳の時でも60歳になったらどんな心境の変化があるか、分からなかったというのが正直なところ。いざ60歳になり、もうこの辺でいいんじゃないかという気持ちがモクモクと沸き上がり、世間で言うリタイアも視野に入れ、余生をもっと楽な仕事をと考える日々でした。会社の代表者であり、社長でもある私が退き、その地位を部下にやらせてもいいかとも感じ、そうしようと思っておりました。

「俺の会社」

しかし代表者である私が退き、今のこの会社はどうなるのか?と感じ始めた時、ふと思ったことは、「俺の会社」という事でした。
もちろん、株主は100%親会社であり、その親会社はオーナー会社の100%所有。となると、オーナーの会社であり、「俺の会社」ではない。しかしながら、その時に頭をよぎったのは、自分の会社なんだ!という強い想いというか、会社に対する意思とでもいうべき気持ち。だからこそ、失敗は許されない。後退は許されない。なくなれば、自分の存在自体が消滅する。少なくとも、社員のみんなを路頭に迷わすことはしてはならない。そんな想いが湧いてきたのでした。
物理的に、九州に店や本社が集中し、今回出店したのは関東圏で、そちらに軸足を移した自分がいる。したがって、現状どうなっているか肌感覚でみんなの気持ちをわからないもどかしさはあるものの、程よい間を置き、程良い距離感を保ちながら、新しい芽を摘むこともせず、かといって、古き良き習慣も遵守しつつ、一番良い選択を持ちながら進んでいければと考えるようになりました。

「やさしく つよく おもしろく」

最近読んだ本に「すいません、ほぼ日の経営」という本がありました。
ほぼ日の糸井重里氏にインタビュアーの川島蓉子氏が質問をし、まとめていった本で、その中で、上場した話があり、上場はみんなを鍛えるためにやったと糸井氏が話されていました。
また、「やさしく つよく おもしろく」という言葉を糸井氏が使っていて、どこか飄々としている糸井氏でも、強さを求めているんだと、ちょっと背筋が伸びる思いがしました。誰でも強さを求め、厳しさを求める。そうでなければ会社は成り立たないのだと改めて感じました。糸井氏のような、現代風の、あたかも表参道や六本木や自由が丘あたりの、何も苦労せずとも、なんでもできそうな風に見える方々でも、やはりそうなんだと妙にうれしくもあり、心強くもあった次第です。
先程、自分の会社と感じたと書きましたが、創業者やその一族で会社を引き継がれた方たちは皆さん、そのように思っているのだろうとその時は、ハッとした感じがしました。それがいわゆるサラリーマン社長と創業社長の違いかと、ちょっとだけ分かったような感じがいたします。でも、自分の会社というその感じ方は、おそらく私が感じた数倍、数十倍、数百倍。だからこそ、ちょっとでも意にそぐわないことがあると、叱り飛ばすという事もあるのではないかと思います。
強く、厳しく、でもやさしく、おもしろく。まさに漢方で言う陰と陽。どちらが大きいかというと、おそらく厳しさや強さが大きくないと、おもしろさ・楽しさは出てこない。糸井氏は根底に優しさがないと、強さが出てこないといわれていますが、私は、根底に強さがない限り、人に、本当に優しく接することはできないと思っております。表面的に、哀れんだり、肩をたたいたり、慰めたり、そのような事は出来ても、どのようなことがあっても抱擁できる力は、いわゆる胆力というような絶対的な強さがない限り出てこないと思うのです。
そのような人づくりが私の今後の使命かもしれません。そんなことを思いながら、新たな一歩を踏み出し、F君がいつも言ってくれているように、少しでも皆さんのお役に立ちながら、みんなを強く、たくましく、でも優しく、人間味あふれる人に、漢方みず堂に。私はというと、皆さんを照らして導く、太陽であり、灯台であり、月で居続けたいと思います。