河端孝幸の読む漢方

人生という道

人生という道

老子の思想で、タオ(=道)というものがあります。
「道可道、非常道。名可名、非常名」
(道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。)
つまりは、これが道だと思った瞬間からそれは道ではなくなる。また、名をつけたり、名と呼べたりするものは、本来の名を表していないと言う事のようです。
一方荘子は、道というのは、耳で聞こえるものでもないし、目で見ることもできず、言葉で表す事も出来ない。
すなわち、耳で聴けるもの、目で見ることができるもの、言葉で表す事ができるものは道ではない。とも言っています。

無為自然=とらわれがない心

そうすると、道とは、あるがままに、自我のない姿、自然に生きるとも言い表せます。
それでは自然とはどういう姿なのか。
生命の歴史を辿っていっても、進化と発展してきている。
人間は大宇宙の中の小宇宙。
朝が来て昼となり、そして夜となり、また朝が来る。
春が来て夏が来て、秋が来て冬が来て、そして春が来る。
それが自然というもの。
人生には喜びもあり、苦しみもあり、楽しみもあり、辛い事もある。それが人生というもの。
万物は流転する。したがって、命も流転する。新しい生命が誕生して、必ず死を迎える。それが自然の法則。
その歴然たる大いなる自然に対して、何もない無の境地。ありとあらゆるものに対してあるがままを受け止める無の境地。と言う事ではないかと思います。

世阿弥曰く

「ぜひ初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」
若い時の失敗や苦労は決して忘れてはいけない。そのみじめさを臥薪嘗胆の如くこれを肥やしにして進まなければならない。
その時、その時の一期一会の場面を、決して忘れないようにしなければいけない。その積み重ねが経験となり、老練さを増し、その人が持つ味となって現れるであろうから。
老後、晩年になっても新しい挑戦をしなければいけないし、その際にも初めての時を忘れてはならない。人間は常に進化し発展する。いくつになろうとも。新たな境地を究め、新たな高みにのぼりさらなる高みを目指す。そして無我の境地へとたどり着く。

無為自然=あるがまま、常の非常

いや、まだ無我の境地という境地は思った瞬間からそうではなくなる。
何となくかっこいい事を言っているようですが、私自身今まで様々に迷い、様々に苦しみました。これから今までにない苦しみや辛さが待っているやもしれません。
しかし一方で、楽しみもあり、嬉しくもあり、喜びもある。すべては、天からの思し召し。かといって怠けるわけでもない。
常に日々新た。常に日々感謝。そんな毎日を送るように日々精進なのでしょう。

人生道=人が生きる道

一生修行。一生勉強。肩ひじ張らずに。
自分の道であり、自分自身で歩む事しかない。
周りに影響されながらも一本杉は、立ちそびえる。確固たる自分探しの道ともいえる。
厳しくも暖かい、大いなる自然に自分をさらし、生き抜く。それが人生の道だと今の時点では感じます。