河端孝幸の読む漢方

Happy New Ears

Happy New Ears

1月1日の朝日新聞の折々のことば欄にHappy New Ears という英語の語呂合わせのタイトルでコラムが書かれていました。そのコラムには、「今年こそ耳の人になろう。長く押し殺されてきた声、出かけては呑み込まれた声、ぼそっと漏らされた短すぎる声、恐る恐る絞り出されたくぐもった声、今にも途切れそうな声。それらにじっと耳を傾けれられる人に。「聡明」には耳がある。」とありました。
話す事と聞く事のどちらが難しいかはいろいろな方が言われている事ですが、やはり聞くということの方が難しいようです。聞くということはまさに門に耳を付けて聞くということ。一方で、門を締めて聞きたくない事は聞かないようにもできるのが聞くということのようです。

聴く

もう一つの聴くという字は、文字の構成からも耳と目と心で聴くということ。
その発せられた言葉の裏にある、心理や様々な事情までもその言葉から読み取り、その話をされた方が言わんとしている、言葉には現わすことができなかったことまでも感じ取れることが聴き上手ということなのだと感じます。
「そう!そう!そうなんだよ!」相手からそのような言葉が出てくることが本望でしょう。
それが本当の意味での解って差し上げるということなのだと思います。苦しかったり、辛かったり、嬉しかったり、楽しかったり。その気持ちをその人が感じている以上の事を感じて差し上げる事が聴くということではないでしょうか。

「あなたには私の苦しみなんてわからないでしょう。」

嬉しさや楽しさを解るということは、一緒に喜んで差し上げる事。相手も喜んでいるので割と分かりやすいし伝わりやすいものです。しかしどちらかというとやはり辛さや苦しさ、寂しさ、悲しさをどれだけわかって差し上げられるかだと思います。
ある癌のお客様が、私に「あなたには私の苦しみなんてわからないでしょう。」と言われたことがあります。大変申し訳なく感じたこともありました。そしてわかって差し上げられなかったことに対して、自責の念にも駆られたこともあります。
しかし完全にその人の事を解っては差し上げられないもの。なぜなら相手は自分ではないのだから。当たり前の事ですが、現としてそれはあたり前にあります。
したがって、解って差し上げたいという真摯な態度こそが重要なのだと思います。どこまで行っても完全には解って差し上げられない。しかし、それに近づこうとしていくことは十分にでき得る。ということだと思います。それがきっと、「寄り添う」という事に他ならないのだろうと思います。
私自身、前述の「あなたには私の苦しみなんてわからないでしょう」というこの言葉を大切に常に横に置きながら自問自答をしていきたいと思います。